すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


米洗川(三重県四日市市)




「米洗川」と書いて「よないがわ」と読む。

ここのエピソードとしては、天武天皇が壬申の乱で、奈良の吉野を離れて鈴鹿を経て三重県に入り、迹太川(とおがわ)のほとりで天照大神に戦勝祈願したという記録が日本書紀にあって、何をかくそう、迹太川は現在の米洗川のことである。


地元では「天武天皇迹太川御遥拝所」の史蹟が整備されているが、今回は行っていない。

写真は四日市市のホームページより


このエピソードが元になって、下の歌が作られたようだ。


内外なる神にささげし米洗川 尽ぬながれの免く美をぞくむ 禊川
天て類や神の美久里のよ邦(那)比かわ たたぬ流ぞ世にはたふとき 黒沢翁満
かむたちのよねあらひてしかは美都は 久ちせ伝いまもなになかれけり 御巫清直






じつは、上記の歌は個人(四日市市在住)のホームページの情報をもとにしている。これら三つの歌は、他で見たこともないので、さすが地元ならではの情報収集力だと思う。
こんな地誌の充実したホームページは見れども飽きないものだ。










ここへの私の訪問もいろいろエピソードがあった。

件のホームページ情報では、四日市市の立阪神社に歌碑があるとのことで、地図をたよりに立阪神社を目指した。
ところが間違えて、到着したのは隣の「観音寺」。


なんとも由緒あり気な様子で、中に入っていった。



「一隅を照らす」の石碑が登場!
由緒モードが高まってきたが、やっぱり何かおかしいことに気がつき、引き返した。



周辺の道は狭く、車での移動が厳しい中、ようやく立阪神社に到着。
真夏の昼過ぎ、この階段は大変であった。



かなり上ったが、また階段が見えてきた。


なんとここに「君が代」の歌碑と「さざれ石」が鎮座していた!
君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで




ふと拝殿のよこを見ると、
なんだか歌碑のようなものが並んでいるのが見えた。


あれかな?



整備もされず、ほったらかしになっていた。


クモの巣を掃って、接近して撮ったのがこれらの写真


上記の禊川の歌碑


御巫清直の歌碑


黒沢翁満の歌碑


多分、あと数年で林の中に埋没してしまうだろう。









歌碑の写真もゲットしたので、実際の米洗川を見てみよう!


三面コンクリートの一般的な町の川であった。


特に感想なし。












予想以上に時間がかかり、疲れと汗が吹き出しました。





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