すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
「遊行柳」は、私の中では超メジャーな存在であり、他の史跡とはケタ違いの期待感を持って訪問した。 結果としては、それほどのガッカリ感はなかった。 訪問したのが真冬だったので仕方がないが、周りの風景も悪くなく、多分西行や芭蕉が歩いた頃と景色はそれほど変わってないと思う。 史跡としてきちんと整備されており、また冬の田んぼに水を引き入れていたのは観光客へのサービスなのか、なんとも美しい写真が撮れた。 (注:私の訪問時、観光客は私一人でした) 田んぼの中にある柳の木、これが遊行柳! 真冬に訪問したので、想像とは全く違う光景になっていた。 なぜかこの一角だけ、田んぼに水が入れられていた。 田んぼに空が映り、いい感じの写真になった。 上の写真とは反対側から撮ったもの。 非常に立派な柳の木であるが、葉っぱがないので、柳なのか何なのか分からない。 残念。 ここが正に遊行柳の現場。 灯篭、石碑、歌碑、句碑が並んでいた。 西行にちなんだのか、桜の木もあった。 ゆかりの歌を紹介 |
道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ | 西行 |
これは夏の歌。 道のそばに、清水が流れている柳の木陰があった。少し休もうとしたら、ついつい長くなってしまったよ、という意味。 これだけ立派な柳の木なので、さぞかし涼しい木陰ができるのだろう。 今回は冬の訪問だったので、思いを馳せることは困難であった。 |
田一枚 植えて立ち去る 柳かな | 松尾芭蕉(奥の細道) |
これは田植えの時分の句。 美しい水田と新緑の柳を想像したい。 さて、 この句の句解を巡って三通りの解釈がある。 中句の「植えて/立ち去る」について、主語は誰かというもの。 @ 田一枚を、(農民が)植えて、(農民が)立ち去った、それを芭蕉が見ていた。 ・・・ふ〜ん、という感じで、芭蕉も相当暇だったのか、疲れていたのか。 A 田一枚を、(農民が)植えたので、(芭蕉が)立ち去った。 ・・・切りがいいこのタイミングで出発しようとした。 B 田一枚を、(芭蕉が)植えて、(芭蕉が)立ち去った。 ・・・この句を普通に読めばこの解釈になる。こんなボランティアというか農業体験教室のようなことが本当にあるのかな? その他、能の「遊行柳」の駒札もあった。 |