すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


湯川寺(岡山県新見市)





岡山県新見市の山間部にある湯川寺は、・・・

・・・と書きかけたところ、現地の案内板にまとめられていたので転記する。

 法皇山湯川寺は、平安時代初期の学僧・玄賓僧都の創建といわれている。玄賓は奈良興福寺で法相宗を学び、南都第一の碩徳と称されたが、名利を嫌い、俗塵を避けて諸国を転々とし、伯耆国から備中国英賀郡に移り、この地に小庵を結んで隠遁した。(後略)
新見市教育委員会


玄賓(げんぴん)僧都は古典文学のいろんな場面に登場する有名人で、すごく素晴らしい僧侶だったようだ。鴨長明も著書「発心集」の冒頭で一段をもって玄賓僧都の行跡の尊さを伝えている。

実際のところ、昔の坊さんにそれほど興味はないのだが、玄賓僧都が隠棲した湯川寺の近くに行ったので、通りすがりに寄ってきた。





新見市の田舎風景



右手の山の中程に赤い屋根が見えるのが湯川寺



こんな坂を上っていく
(車で行ったらよかった)



湯川寺。無人だった



こんなかんじ






湯川寺で詠んだ歌が続古今和歌集に入集されている。
詞書に「備中国湯川といふ寺にて」

山田もる そうつの身こそ あはれなれ 秋はてぬれば とふ人もなし 玄賓僧都(続古今和歌集)


『そうつ』とは案山子のことらしい。誰も訪ねてくる人がいない寂しさを、自分自身の「僧都」を「そうづ」に掛けたもの。
そら、備中国のこんな田舎で住んでいたら、遠すぎて訪ねて行けない。せめて畿内に住んでいれば、知り合いが訪ねたかもしれないが。




そんなこと、どうでもいいのだが、なんと玄賓僧都は能の「三輪」のワキとして登場している。大和国の三輪山麓の庵に住む玄賓僧都の元に、女が毎日閼伽水を届けに来る。その場面で、玄賓僧都は歌を詠んでいる。

山田守る僧都の身こそ悲しけれ、秋果てぬれば、訪う人もなし 玄賓僧都(能「三輪」)


続古今集の「あはれなれ」が「悲しけれ」に変わっただけで、あとは同じ。



現在、奈良県桜井市の山の辺の道沿いには玄賓庵の跡が整備されている。また玄賓の衣が掛かっていた杉は枯れて、根本だけになっているが衣掛杉として大神神社の名所になっている。




備中の湯川寺でもいろいろなエピソードがある。玄賓僧都は湯川寺の境内に白檀木の枝をさしたところ、大木に育ったが、明治初年に倒れたらしい。ただし今回の訪問では白檀木関連の史跡は確認できなかった。







備中名所考の「湯川」 (新日本古典籍総合データベース)

庵の中の老人は玄賓僧都か








34.963454, 133.566856

(経緯度)





能の「三輪」は有名ですが、内容が分かりにくいと思っていました。
今回玄賓僧都の庵を訪ねたことで、親近感を持ちました。






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