すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
「往来の松」について摘記する。 ・江戸時代のこと。中山道、加納宿の菊地神社の境内に見事な松の大木があった。 ・高さが24メートルほどもあり、中山道を行く旅人が目印にするほどであった。 ・加納藩主の戸田光永はこの老松を賞揚して「往来の松」と名付けた。 ・戸田光永の子の光Xは正徳元年(1711年)に山城国淀藩に転封となった。 ・戸田光Xは、淀城からはるか美濃国に思いを馳せて歌を詠んだ。 |
あけくれにながめし松を故郷の人の往来の便りにぞきく | 松平光煕 |
■ 現地訪問 ![]() 菊地神社(岐阜市清776) ![]() これが「往来の松」 二代目が昭和25年頃に枯死 これは三代目らしい ![]() 「往来松古蹟」の石碑(二段積み) 同じ内容で、設置時期の異なる二つの石碑を積み上げたもの 敷地を有効活用でき、まさに空間利用の妙と言える ![]() 境内にあった切株 なにも標示がなかったが、もしかすると二代目のかも ![]() |
この日、前夜九時に大阪の自宅を出発し、名阪道から中央道へ回り、虎渓パーキングエリアで車中泊、早朝から東濃エリアの歌枕を巡ってきて最終、岐阜市内の「往来の松」にたどり着いたのは夕方四時でした。 |