すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


吉身(よしみ)(滋賀県守山市)








仁安元年、悠紀方歌、吉水郷 多人家菊花臨水

幾千代の秋霞むべき菊の華 匂ひを移す吉水の里 藤原俊成




仁安元年、悠紀方御屏風 吉見村 人家盛多立松之所

君が代はよしみの村の民も(みな) 春をまつとや急ぎ立つらん 藤原俊成







どちらも仁安元年、六条天皇の大嘗会で詠進された歌。

「吉水の里」と「吉見」は同じ場所らしい。

「吉」はラッキーワードであり、大嘗会に相応しい地名である。

現地の案内板を転記する。

吉身(吉水郷)

この辺り一帯を「吉身」という。古くは『吉水郷』と称し、ゆたかな森林ときれいな「水」に恵まれた天下の景勝地であった。元暦元年(1184)九月に発表された『近江国注進風土記 』には、当時の近江国景勝地八十個所 の一つとしてこの地が紹介されている。南側は『都賀山 』の森と醴泉 (こさけのいずみ)が湧く数々の池があり、東に有名な『益須寺 』があった。そしてこの街道は「中山道 」である。古えの「東山道 」にあたり、都から東国への幹線道として時代を映し出してきた。 

鎌倉時代に、大津・勢多・野路に次いで守山が重要な駅路(宿駅)となり、江戸時代に江戸の日本橋から数えて六十七番目の宿場に指定されたとき、「吉身」はその西の「今宿」とともに守山本宿の「加宿 」として宿場の役割を分担した。ここは吉身加宿の『高札』が立っていた所である。本宿と加宿の境には川が流されてその標とした。

(後略)

吉身中町自治会「水とホタル推進委員会 」











■ 現地訪問

案内板には、「豊かな森林」「天下の景勝地」と解説されているが、現在は住宅街となっていた。

中世には中山道の宿場町として発達したので、街道沿いには今でも宿場町の面影が残る。



高札場の跡地




街道沿いの連続写真























大嘗会和歌に詠まれた場所として何か石碑でも建てたらと思います





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