すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
猪名野は摂津国のメジャーな歌枕である。 猪名川の流域の台地に広がっていた野原。 西方に位置する有馬山とともに詠まれることが多い。 先ず万葉集では 「志長鳥猪名野を来れば有間山 夕霧立ちぬ宿はなくして」 (猪名野を歩いていると、有馬山に夕霧が立った。今夜泊まる所も決まってなくて/伊丹市教育委員会) と詠んで、猪名野を「しなが鳥(水鳥)」、「有馬山」、「夕霧」、「旅心」、「宿無し」など、さびしいイメージにした。 そして後拾遺和歌集のこの歌 「ありま山ゐなのささ原風吹けば いでそよひとを忘れやはする」 夕刻の思いを笹原に吹く風に託して詠み上げたこの秀歌は百人一首に入集されて、歌枕として猪名野は確固たる地位を得ることになった。 のち江戸時代になって、庶民にまで文化意識が高まり、また人々が旅行するような平和な時代になり、各地で名所旧跡の発掘・再興が行われるようになった。 有馬街道沿いには「猪名の笹原」が名所として整備され、街道を行く人々の旅心を慰めた。 |
なんと有馬街道沿いに「猪名の笹原」が描かれている もともと歌枕としての猪名野は、「猪名川流域の台地の野原」という広域の風景を意味していたのだが、この図会の描画では笹の植生の中に庵があって、いかにも旧跡っぽく整えられている。 明治時代、都市開発によりこの辺りは織物工場の敷地になったが、工場を引き継いだ東リ株式会社により旧有馬街道沿いに「猪名の笹原」が再現されている。 【現地訪問】 名所復活!現在の猪名の笹原の姿 学名ネザサという笹らしい。この辺りに一般的に生えていたのだろう。 別の角度から撮影。旧有馬街道に沿って、工場の敷地に入り込んで整備されている。 摂津名所図会の絵図と由来書 東リの工場。敷地内には笹原稲荷や金塚が保存されているとか なんと「猪名の笹原」はさらに二ヶ所で再現されていた。 伊丹市のみどり自然課によるもので、瑞ケ池公園内(伊丹市瑞ケ丘)と伊丹市役所本庁舎横にモデル園を整備している。 今回はそのうち瑞ケ池公園のモデル園を訪ねた。 説明板によると、ネザサのほか、カワラナデシコ、オミナエシ、ヒオウギ、キキョウ(写真の左から)を含む多様な植生を再現しているらしい。 これが猪名の笹原モデル園。普通の荒れ地に見えるけど。 遠くに見えるのが有馬山系。 まさに有馬山と猪名野のコラボである。 別の角度から。 素人目には、手入れしていない普通の荒れ地に見えた。 そんな猪名野を詠んだ歌 |
志長鳥猪名野を来れば有間山 夕霧立ちぬ宿はなくして | 万葉集 |
我妹子に猪名野は見せつ名次山 角の松原いつか示さむ | 万葉集 |
しなが鳥猪名野をゆけば有馬山 夕霧立ちぬ明けぬこの夜は | 古今和歌集 |
千鳥なくゐなの河原を見るときは 大和恋しく思ほゆるかな | 紀貫之(古今和歌六帖) |
猪名山の道のささ原埋れて 落葉が上に嵐をぞ聞く | 藤原定家(秋篠月清集) |
ありま山ゐなのささ原風吹けば いでそよひとを忘れやはする | 大弐三位(百人一首) |
ゐなやまの山のしつくもいろつきて しくれもまたすふくるあきかな | 藤原定家 |
しながとりゐな山ゆすり行みつの なのみきにいりてこひわたるかな | 猿丸大夫 |
しながどりゐなののはらのささまくら まくらのしもややどる月かげ | 金槐和歌集 |
たひころもつまふくかせのさむき夜に やとこそなけれゐなのささはら | 藤原為家(続後拾遺和歌集) |
しながどり猪名のふしはら青山に ならむ時にをいろはかはらむ | 猿丸大夫 |
はつしもハふりにけらしなしながどり ゐな乃ささはらいろかハるまで | 藤原俊成(新後拾遺和歌集) |
かり枕ゐなのの原に夢さめて かたふく月にしぎの立つ聲 | 能阿法帥(新撰菟玖波集) |
分来てし其世は夢と成りぬるを 何たとらるる猪名のささ原 | 伴林光平 |
猪名川の香はしき魚を前に置き 食ふも食はぬも君がまにまに | 斎藤茂吉 |
伊丹市は文化水準が高いのかどうなのか分らないが、街中に歌碑が設置されている。全部で60以上もあるという。 伊丹市役所関連のホームページに歌と歌碑の説明があり、一日かけてレンタサイクルで歌碑めぐりをしてみようと考えてから約10年になる。 坂も多そうだし躊躇していたが、今回有馬街道を歩くことになり、現地を訪問することになった。但し下調べをしなかったので歌碑に巡り会えなかった。 ■その他、猪名野関連写真 猪名川 鼓ヶ滝の辺り 猪名野神社(伊丹市宮ノ前3丁目) 社頭の鳥居 本殿 猪名野神社は有岡城の砦の一部だったらしい |