すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


後瀬山(のちせのやま)(福井県小浜市)





万葉集の女流歌人として有名な坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の長女は坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)で、この坂上大嬢が恋に落ちた相手が万葉集編者の大伴家持であり、二人の間の相聞歌が万葉集に収録されている。尚、後年二人は正式に結婚している。


かにかくに人は言ふとも若狭道の後瀬の山の後も逢はむ君 坂上大嬢(万葉集)
とやかく人が噂を立てて私たちを逢いにくくしても、若狭にある
後瀬の山の名のように、後に逢いましょうね、あなた。
(歌枕歌ことば辞典) 


返歌
後瀬山後もあはむと思えこそ死ぬべきものを今日まで生けれ 大伴家持(万葉集)






多分、若狭に行ったこともない万葉時代の貴族の娘が後瀬山を詠んだのは、その絶妙なネーミングによるもの。(のち)の逢うという意味であり、大伴家持の返歌も、「後に逢おうと思ってるので、死なずに生きてきた」と巧みに呼応している。

この万葉歌により後瀬山は若狭国の歌枕となり、後世、多くの歌人が後瀬山を詠んだが、同じく「後に逢う」の意味で用いられた。

後瀬山そのものの美しさを称揚するような叙景歌が見当たらないことから、誰も若狭路に行って、実際に後瀬山を見物した人はいなかったのだろう。


思ひ出でよ忘れやしぬる若狭路や後瀬の山と契りしものを 藤原俊成


たのめおきし後瀬の山のひとことや恋をいのりの命なりけり 藤原定家(拾遺愚草)


逢ひ見てし後瀬の山の後もなど通はぬ道の苦しかるらん 良覚






国道27号線の後瀬山トンネルの小浜側入り口から撮影







の記号がある山が後瀬山







普通の山でした







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