すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
2023年夏、中国地方の歌枕巡り、五泊六日の旅に出た。 夜、会社から自宅に帰り、すぐに車で出発。岡山県の長船サービスエリアで車中泊。台風が九州を北上していたので、停めた車が強風で揺れ、なかなか眠れなかった。 二日目は尾道から中国山地を横断して島根県までの行程。江津市で宿泊。 三日目は日本海の海岸に沿って西へ向かい、下関で宿泊。 四日目は山口県の瀬戸内側の歌枕を巡って周南市で宿泊。 五日目は更に東へ進み広島県に入って東広島市で宿泊。 六日目は広島県の東部エリアを巡り、尾道から向島へ渡り、夕方6時40分、ようやく最終の目的地の「歌の島」へ到着。もう、疲労困憊であった。 着いたのは、歌港のフェリー乗り場 「歌」の集落から少し離れているが、歌港からは向かいの戸崎まで渡し船が就航している ![]() 夕方は18時で渡し船の運航は終了していた ![]() 当然、待機レーンには車はなかった ![]() 渡し船は対岸の戸崎との間を往復している (クレーンの左辺り) ![]() 歌の集落を望む 集落の向こうに尾道造船のクレーンが見える |
パノラマモードで撮影したが、特に風趣に富むものではなかった 現在の「歌」は、向島のこう向東地区の一角の地名であるが、往昔、向島は七つの島に分れてあり、その一つの島が歌島であったようだ。 今川了俊の「道行きぶり」に、尾道とともに歌島が登場する。 「この向かひたるかたに、横ほれる島山あり。むかし此所を (この(尾道)の向かいに横たわる島。昔この島を治めた人は、歌の道に熱中するあまり、田んぼにいる農夫や海に潜る漁師たちにも歌を詠ませて 楽しんだので、やがてここは「歌の島」というようになった) 一方、地元に伝承されている歌島の地名起源は和泉式部が絡んでいる。曰く、和泉式部は歌島で生まれた。曰く、和泉式部は晩年を歌島で過ごした。曰く、和泉式部が厳島神社へ参詣の途中に歌島に立寄り、枝振りの良い松を浜辺に植えた、等々。 その後、近世になり干拓で海を埋めていった結果、七つの島は一つの島になり、尾道の向かいの島ということから、向島で統一された。 「歌の島」を詠んだ歌 |
うたの島岸の下には |
源俊頼(夫木和歌抄) |
眺めても来てものするもかはらじな波にうかべるうたのうきしま | 翠月道人 |