すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


与謝の海(よさのうみ)(京都府宮津市)









「与謝の海」は現在の宮津湾のこと。
天橋立によって内湾の阿蘇海と隔てられている。
歌枕の「与謝の海」は天橋立とともに詠まれることが多かったが、単独で詠まれることもあった。
天橋立の白砂青松と与謝の海の長汀曲浦が織りなす情景は、京の都から来た歌人たちの美的情趣を励起させたのだろう。



与謝の海を激写


獅子崎から撮影
向かいに天橋立が横一文字に見える
いわゆる雪舟観の撮影ポイント



江尻の渡船場付近から撮影
右手に天橋立がまっすぐ伸びている



天橋立から宮津湾の湾奥(南向き)を撮影



天橋立から北向き
左手に天橋立

宮津市は、あまり市民生活が発展していないのか、とにかく海はきれいであった。





そんな与謝の海を詠んだ歌



よさの海あまのしわばとみし物を さもわが焼くとたるるしほかな 和泉式部



与謝の海内外(うちと)の浜のうらさびて 世をうきわたる天の橋立 曾禰好忠



波路分け釣りするあまの橋立や 霞にまがふ与謝の浦 飛鳥井雅経



思ふことなくてぞ見まし与謝の海天の橋立都なりせば 赤染衛門



与佐の海に浪の夜昼眺めつゝ 思し事をいふ身ともがな 和泉式部集



潮風の与謝の浦松音さえて 月影寄する沖つ白浪 秋篠月清集



与謝の海の沖つ潮風浦に吹け まつ也けりと人に聞せむ 藤原良経



うかりける与謝の浦波かけてのみ 思ふにぬるる袖を見せばや 殷富門院輔



白龍の走ると見しは与謝の海 雪をのせたる天の橋立 文殊浩然



漁りする与謝の海人びと誇るらむ 浦風ぬるく霞みわたれり 恵慶法師集



橋立与謝の浦波寄せてくる 暁かけて千鳥啼くなり 藤原仲実



与謝の浦入海かけて見わたせば 松原とほき天の橋立 考覚



雲はらふ与謝の浦風さえくれて 月ぞ夜わたる天の橋立 細川幽斎



橋立や斎くうへこす月もみむ 秋風すめる与謝の浦 三条西実隆



与謝の海めぐる時雨の一しきり 渡れる見ゆる天の橋立 太田垣蓮月



与謝の海天の橋立中絶えて 霞を渡る春の夜の月 昭憲皇太后



見も聞きも涙ぐまれて帰るにも 心ぞ残る与謝のふるさと 与謝野礼厳














資料によっては、与謝の海は天橋立の西側の内海のことと説明しているものもある。現在の阿蘇海のこと。
また内海と外海の両方のこととする資料もある。
多分、昔はそれほど厳密に区別をしなかったと思う。
都の歌人にとっては、丹後国の与謝郡にある海で、天橋立の近くのこと、という理解がされていたのだろう。


不思議なのは、その阿蘇海のことで、「あそのうみ」はいかにも歌枕チックな名称なのに、これを詠み込んだ歌が見つからないこと。


まあ、天橋立とくれば与謝の海と座りが良かったのだろう。


現在では天橋立によって外海と隔てられた閉鎖性海域となってしまい、水質の悪化やヘドロや、それに伴う漁獲量の低下が話題になることが多い。









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